代々受け継ぐ樹齢80年超のみかんの樹。その栽培の秘訣は・・・
代々伝わる、珍しいみかんの樹
今日は、面白いものを見ましたので、皆様にもご紹介します。
長崎県は西彼杵郡、長崎県でもかなり古い時代からみかん栽培が行われてきた地域です。私も知らなかったのですが、そちらにとても珍しい『みかんの木』があるというので、お邪魔しました。
生産者のKさんはとてもにこやかに迎えてくれました。まだお若く、代々曾祖父の代からのみかん園を引き継いで経営をしていらっしゃいます。
「これが、そのみかんの樹ですよ。」と案内された圃場は、一見何の変哲もないみかん畑でした。
「え?これがその、樹齢80年を超えるみかんですか?」と私。「そうです、そうです。」と言われるまま、近寄ってみました。
いやー、大きな樹!そして、見事にみかんの実がなっています。それはまるで、みかんのカーテンのようにびっしりと所狭しと成り込んでいる姿。まさに、圧巻です。
樹の姿は確かに大きく、上の方は脚立で登らなければならないほどですが、80年以上と聞いて想像していたよりは小さいものでした。しかし、幹は太く、まるでちょっとした杉の木のような太さになっています。
毎年実がなるみかんの樹の秘密はいったい?
このみかんの樹、それは戦前に、曾祖父がお孫さん(Kさんのお父様)が生まれたことを記念して、当時はまだ珍しかった宮川早生を30本植えたそうです。そして、驚くべきは、その樹がまだ健在で、毎年毎年、しっかりと実をつけているということです。
今年はご存じの通り、九州や愛媛のみかんは、どこも不作です。昨年秋からの雨不足や落葉で、どこの園地に行っても不成りの畑が多いのです。しかし、この畑は、ものの見事にみかんがなっています。
「昨年も成ったんですか?」と聞くと、「昨年も同じくらい成りました。」とKさん。
この樹齢で、異常気象をもろともしないこの体力。「これはすごい。」
「きっと、強力なストレスに耐えるだけのものすごい量の根が、基礎になっているんだろうな。」そう直感的に思いました。なにしろ、一本の樹で、コンテナ20杯はあるだろうというくらい、みかんが成っているんですから。
美味しさの向こうにある味(ロマン)
Kさんは「味はそこそこですよ」と言われましたが、一口食べて感じました。
「これぞ、ロマンの味!」
こんな老木でも、こんなに甘さが詰まっていて、生き生きとしたフレッシュ感のあるみかんができるんだなと。本当に、ご家族の愛や、歴史を感じながらいただくと、代々受け継いでいく農業の価値、地域で土とともに生きていく意味というのを知るような思いがしました。
なぜこんなに何十年も、樹が元気なのか?
そして、私はちょっと核心的な質問をしてみました。きっとみかん作り、いや永年作物を作っていらっしゃる方は、この畑に行くとみんなこの疑問が出ることでしょう。
「普通は30年もすれば樹が疲れて、隔年結果になったり、味が落ちたりしますよね。なんでここのみかんは、80歳以上なのに、こんなに元気で生き生きとしてるんですか??」
「それは生田さん、やっぱり微生物の力だと思ってるんですよ。」
Kさんのお祖父さんやお父様は、この樹をずっと昔から栽培されているわけですが、その栽培法は、戦前のよき時代の栽培法を受け継いだものかもしれません。
それは、山の土(腐葉土)を持ってきて、みかんの園地に施す。それが、肥料だというわけです。
それこそ、戦前のことですから、現代のように化学肥料というものはもちろん、魚粉や菜種などの有機肥料さえ、十分に手に入らない時代ではなかったでしょうか。それでも、この「孫が生まれた記念に植えたみかんの樹を元気に育てたい。」
その思いで、きっと土作りを考えられてきたに違いありません。
そこで、先人の知恵は、山の腐葉土を毎年畑に入れることだったのです。確かに山の木々は、肥料も施していないのに、生き生きと育ち、毎年実をつけています。そこにヒントがあったのでしょう。
腐葉土は、土の中に多くの微生物や、ミミズやトビムシやヤスデなど、土を耕してくれる生き物をたくさん育んでくれたに違いありません。そのような生き物や微生物が、盛んに活動し、せっせと代謝物を生産しますから、土は深くまで耕され、そして植物にとって非常に栄養豊富な、根や植物の健康に良い成分に満ちていたと思います。
時には、数十年に一度の干ばつの年、または大雨や台風の年もあったでしょう。そんな過酷な自然環境の中でも、できあがった土壌と膨大な数の微生物が、ネットワークを作り、想像を超える強力な生命力をみかんの樹に送り込んできたに違いありません。
だからこそこの樹は、こんなにも長く、しかも元気に80年以上も現役で働き続けているのでしょう。
現代の知識を持って考えると、そのような自然の仕組みを科学的に理解できますが、きっと昔の人は、そういうことを知らずに、なんとなく植物が元気になるからと、やっていたのでしょうね。本当に先人の知恵というのは、すごいものだと思います。
人間にできることは、わずか。
Kさんは、このみかんの樹がこれからもっと健康に育ってもらうために、土の微生物を活性化させることを念頭に栽培をしていきたいといいます。そして、そのためには、除草剤も使用せず、この土を守っていきたいといいます。自然に逆らい、不自然な栽培方法をとりたくないという考えがひしひしと伝わります。先人の努力によって作り上げられたこの土(財産)を、安易な方法で壊したくないのだと思います。
「人間にできることは、地下部は土作り、地上部は剪定くらいのものですよ。」とKさんはいいます。
土作りというのは、微生物豊かで有機物や栄養が循環していくような自然に近い土壌を作るということでしょう。
そのために、腐葉土や植物性堆肥などを与え、肥料は絶対にやり過ぎないことを気をつけているそうです。実際にこの畑には、これまでやっていた春と秋の肥料も徐々に減らしています。主にやるのは腐葉土や植物性堆肥。微生物を活性化し、微生物の代謝物で育てていくという方針です。ですから肥料は、葉面散布等でほんの少し元気をつけるくらいだけだそうです。
そして、剪定方法は、樹の成長ホルモンを生かす『切り上げ剪定』です。面白いことに、『切り上げ剪定』という剪定技術が言われるずっと前から、このみかんの樹では切り上げ剪定が行われてきた痕が見えました。お父さん、いやお祖父さんの代から、きっとそうやって樹の成長意欲を高めるような栽培方法が採られていたのでしょうね。この切り上げ剪定もまた、これだけの樹齢を重ねてなお、しっかりと実をつけることができる理由の一つかもしれません。
Kさんは、このみかんの樹を譲り受けて4代目ということだと思いますが、その重責をまっすぐに受け止め、本当に素晴らしい方向性を見つけていらっしゃるなと、心から感心しました。
目に見えない大切なものを見た思いがした。
生き物の力は、本当に偉大だと感じます。植物にはもちろん、寿命というものはないし、環境が良くなれば、いつからでも再生できるすごい力を持っています。微生物も餌を与えると、人に言われるまでもなく、もくもくと植物の生育しやすい環境を作ってくれます。このような生き物の生命力と、連携や共生の大切さが、現代の農業に忘れられてしまったとても大切なものだったんだなと改めて痛感させられたような気がします。
今日は、本当に良いものを見させていただき、勉強になりました。Kさんありがとうございました。
そしてこれからも、『大切なものを受け継いで、そしてそれを育てていこう』というその姿勢を、微力ながら応援させていただきたいなと思います。Kさんのおかげで、これから長崎の、いや全国のみかん栽培のスタンダードが変わるような気がします。
樹齢80年超のみかん園(宮川早生)
みかんがびっしりと成り込んだ素晴らしい景色。葉の色、みかんの色も良く、樹勢とストレスがちょうどよいバランス。切り上げ剪定を実施しているため、実の多さの割に、来年の結果母枝としての充実した春芽が多く見える。
みかん栽培と土壌微生物について熱く語る生産者Kさん
樹齢80年を超えるみかんの樹を前にして、これを枯らさず、ますます元気にしていくための農業技術について熱い思いを語るKさん。土壌微生物を生かした農業がこれからの農業に大事な部分ではないかと、気づいたという。